|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ カブ : [かぶ] 【名詞】 1. cub 2. (n) cub ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight ・ 戦艦 : [せんかん] 【名詞】 1. battleship ・ 艦 : [かん] 1. (n,n-suf) warship
コンテ・ディ・カブール (Conte di Cavour) は、イタリア海軍のコンテ・ディ・カブール級戦艦。艦名はイタリアの政治家カミッロ・カヴールに由来する。 ==艦歴== 1910年起工。1911年進水。1915年に就役。第一次世界大戦と第二次世界大戦に参加した。 就役後、差し迫ったオーストリア・ハンガリー帝国との戦争に備えてタラントに配備された。1915年5月24日の第一次世界大戦勃発時には、探検家としても知られるルイージ・アメデーオ・ディ・サヴォイア少将の旗艦になった。戦争中、敵と交戦することはなかった。 戦争後北アメリカへの宣伝航海をおこなった。その航海ではジブラルタル、ポンタ・デルガダ、ファイアル島、ハリファックス、ボストン、ニューポート、トプキンスビル、ニューヨーク、フィラデルフィア、アナポリス、ハンプトンローズに寄航した。 1922年の夏、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がコンテ・ディ・カブールでイタリア領となったアドリア海沿岸の都市を訪れた。また、1925年4月にはベニート・ムッソリーニがトリポリを訪れるのにも使用された。 1928年5月12日、タラントで武装解除された。1933年10月、コンテ・ディ・カブールは改装工事のためトリエステへ移された。1940年6月10日にコンテ・ディ・カブールは海軍に復帰し、1940年6月10日のイタリアの第二次世界大戦参戦時にはタラントにあった。 1940年7月9日、コンテ・ディ・カブールはカラブリア沖海戦に参加した。1940年11月11日のタラント空襲でコンテ・ディ・カブールはイギリス軍機の雷撃により沈没した。1941年終わりに引き揚げられトリエステで修理が開始されたがコンテ・ディ・カブールが復帰することはなかった。 1943年9月10日にドイツに捕獲されたが1945年2月15日のトリエステ爆撃で放棄された。1947年2月27日にスクラップとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コンテ・ディ・カブール (戦艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|